仕事としての介護とは

【職員の皆さんへ】

*今回の「職員の皆さんへ」は、新入社員研修レポートに記載された悩みに対する吉田社長からのコメントをそのまま転載しています。

研修レポートを読んで仕事に対する真摯な誠実な姿勢がよく現れています。
入所者の方々を思いやる気持ちもまた解かります。
この二つは介護職の根っこです。

さて実はもう一つ介護職の根っこがあります。
これはあまり介護の教科書や介護の専門家(と言われている)が取り上げていませんし、知られていないのが残念ですが。
介護は「相互関係」なのだということ。
これはどういうことかというと
「我々はスーパーマンではないし、何でもできるわけではない。」
「要介護者が望むことをすべてサービスとして提供できる訳でもない」
そして最も重要なことは
「我々が疲れていたり体調が悪い時あるいは迷ったりする時などは、要介護者へのサービスの提供が不調になるのも当然である」
それが仕事である。

こんな実話をご存知ですか。
「思わず、大声で怒鳴ってしまったヘルパー。常時つねられ、頭を叩かれていたヘルパーが思わず手が出てしまった」 
これらの方は虐待したということで介護職を離れました。
彼女らは涙ながらにこう言ってました。
「尽くしても尽くしても感謝もない、一言もない。砂漠に水を注ぐ事の毎日。
それが積もり積もって余裕のない結果に至ったのかもしれません」

一生懸命の介護をすること
そして
自分を守るということ
これを「相互関係」の仕事といいます。

わかりにくい文章になりましたが、言い換えれば
介護に理想型を求めるのは間違いのもとです。

日常生活に理想を求めるのが間違いであると同じ様に。

自分の限界を知る、介護の限界を知る、仕事の限界を知る。
知った後にそこから個人個人への介護の種類と方法を工夫する、そして妥当なサービスを提供する。
これも「相互関係」ということです。

誤解しないでいただきたいのですが私も介護をあるいは仕事全般について
すべてがわかっている訳ではありません。
あくまで一仕事人として一経営者として今まで悪戦苦闘してきた中から私なりに掴み取ってきた内容を書いてみたわけです。

我々が進んできた道、進んでいこうとする道は決して間違ってはいないという強い確信があります。 
これからも我々の道は決して平坦ではありませんが、前をしっかり見据えて前進していきましょう。
もう少し「仕事」に関する話を続けます。
1「仕事は面白く楽しいものか」
   -実はみんな気付いている-

今でいうニートもしくはちょっと前のフリーターでもいいのですが(に限らず殆んど誰もでしょうが)、自分にあった「仕事」自分にあった「面白い仕事」はどこかに(日本の、世界の)あるはず・・・という思いが主流でしょう。
しかし翻って見れば元々仕事は「あまり面白いものではない」ということを実は彼ら彼女らは知っているのでしょう、頭の中では。
しかしそれでも「ひょっとしたらそんな自分に合った面白い仕事があるかも知れない」という幻想は少なからずテレビドラマや他の仕事、就職に関するメディアの無責任な求人情報などによって摺り込まされてどうしても捨てきれない現状もあるでしょう。

2「ひょっとしたらメディアとか大手の企業に騙されている!?摺り込まされている!?」

そんな摺り込みの顕著な事例がつい二週間前の新聞に出ていました。
人材派遣会社の人手不足事情の中での話ですが「働く人を紹介して一定のポイントが加算すればポルシェが景品で出るとか、社内に女性職員専用の無料ネイルサロンがあるとか、転勤手当てが出るとか」(派遣でです!)」の記事が載っていました。
あるいは今年の新卒戦線は随分な人気で一人一人にマンツーマンで手取り足取り社会人のイロハから仕事の手順、ノウハウを教えますという(里親制度と言うそうです)会社まで現れました。
豪華なことだな、あるいは羨ましいなと思われる方もいるでしょう。しかしほんの2、3年前を思い起こしてください。
新卒就職戦線は「氷河期」など生易しい時代情勢を超えて「永久凍土(ツンドラ)」だとか失業率が5%を超えた!とかが連日のようにニュースネタででていたことを。 

3「随分いい加減に扱ってくれるじゃないの」

つまり「仕事」というものをすなわち「人=労働力」をこんないい加減に扱う世の中の大多数の企業、時代環境がちょっと変化すれば極端から極端へ走って当然の如くのその場しのぎで「仕事」を手玉のように扱ってきた就職ビジネス企業、仕事への重心など何処にもない浮ついた社会環境をある意味で若い人たちは直感的に分かっているとしたら・・・。

彼ら彼女らはこのように考えているのかもしれません。
「だからこそまだ若いうちは伸ばせるだけ羽を伸ばしておこう、いずれ何とかなるだろう、更には彼らの(企業側)都合で甘えさせようとするなら、その間は甘えるだけ甘えてしまえ・・」のような発想がでてくるのは当然と言えます。

上記のようなお馬鹿な会社はほんの一部でしょうが、しかし多くの企業の採用担当者の「甘えの環境、条件を提示しなければ人は集らない」心情的傾向(トレンド)は間違いないでしょうし、また就職・転職を希望する人たちも「ある種の甘えさせ企業の象徴」として選択する際の大きな判断基準になることは間違いないでしょう。

4「しかし少し考えると何が自分にとって得かはスグわかる・・・はず」

しかし誰が考えても「時代環境が変われば仕事(意味)の重心を、軸をフラフラ変えるような企業は経済環境が悪化すれば何の工夫も努力もなしに雇用条件、就職条件を変える」ことは自明でしょう。

5「ようやく終わりに当社(私の)考えを述べます」

当社はこの種の泡のような考えは反対でも賛成でもありません、端的に言えばどうでもいいと思っております。
何故なら当社は元々社会性に直結する「意義ある仕事」をしているのですから。

仕事とは「元々は面白いものでも面白くないものでもない」のであり、それを意義あるものに変えることができるのは、仕事のプロとして実行するのみであると考えます。
採用者を甘えさせるのも企業のやり方なら、甘えさせることなく徹底してひとり立ちするための育成を追及し実行してゆくのもまた企業です。
当社はこの立場を取ります。(少数派かな)本当に「自分に取ってどちらが得なのか」
極論を言えば個人のプロの仕事が確固として身についていればそして自らの仕事のプロセスと結果にプライドを持っていれば、会社が先々どうなろうと全く問題はないはず。

人数比から言えば確かに「甘えさせてくれるほう」を選ぶ率が多いでしょう、6割いやもっとかも知れません。
しかし本当に「自分にとってどちらが得なのか」を考える人も決して少ないとは思いません。

らいふは(社長である私は)このような思いと考えで募集し面接し採用を進めていますし、各種の基礎研修・育成のシナリオを作っております。
(そして何より「プロ人材の育成」は日々の現場の仕事の中で行うことが最も重要でありそれは上司と部下の指示と実行を中心とした仕事の各種の関係に表わされます。
割合からすれば80%を占めるでしょう。あとの20%が集合研修であり社外研修に相当します。)

今現在当社に在籍している人もそしてこれから当社に関心を持っていただける方にももう一度先の質問を掲げて今回の長い文章を終わりにします。
「本当に自分にとってどちらが得なのか」